2021年03月31日

当事者として肺がんに関わるということ

 大分からセンバツ高校野球選手権大会に出場している明豊高校が、初の決勝進出を決めたとのことで、webニュースを読んでいた。
 1967年に全国優勝した津久見高校以来、54年ぶりの大分県勢決勝進出とのこと。
 確かに記憶にない。
 春・夏ともに甲子園が見送られた昨年を挟み、一昨年はベスト4、今大会では決勝進出ということで、実質2年連続で甲子園ベスト4入りを果たしているわけで、明豊高校は立派に名門の仲間入りをしたと言っていいだろう。
 明豊高校と聞くと、私はどうしても明青学園高校を思い出してしまう。
 上杉達也、上杉和也、朝倉南である。
 今は、立花投馬・走一郎の義兄弟が活躍しているようだ。
 なにはともあれ大分県民にとっては、新型コロナウイルス感染症の第4波が他県から押し寄せそうな嫌な雰囲気の中、快事として素直に喜びたい。

 他のニュースに目を通していたところ、以下のような記事を見つけた。
 「人気料理研究家の高木ゑみさん、35歳で死去 ステージ4の肺がんで闘病していた」
 https://news.yahoo.co.jp/articles/c967c721aaf17264ce2a7d5443cbaaa05959ccaf
 今日まで高木さんのことは存じ上げなかったが、35歳の若さで、2020年10月に脳転移、骨転移を伴うstage IVBの原発性肺がんと診断され、2021年3月28日に亡くなられたとのこと。
 確定診断からまだ半年も経過していない。
 進行期肺がん治療開発のめざましさが取りざたされる一方で、こうした厳しい現実もあるのだ。
 自分よりも若い方がこうした経緯で亡くなられるのは、ことのほかこたえる。
 シングルマザーとして息子さんを育てておられたということで、一層切ない。
 ご冥福をお祈りするとともに、息子さんの今後の人生に幸多かれと祈りたい。

 昼食を食べてから、午後のカンファレンスが始まるまでの間に、世界肺癌会議の際に公表された肺がん患者の動画を視聴していた。
 この患者が13歳の時に、祖父母が相次いで肺がんで亡くなった。
 その半年後には、父親が肺がんで亡くなった。
 さらに、20代の頃には母親と、近しい親族も肺がんで亡くなった。
 本人は39歳の時にEGFR遺伝子変異陽性肺がんと診断され、4人の幼い子供たちを抱えていた。
 stage IAで完全切除し、EGFRチロシンキナーゼ阻害薬で術後補助治療を受けたものの再発、現在は別のEGFRチロシンキナーゼ阻害薬を使って病状は安定しているとのことで、闘病期間は足かけ12年にも及ぶそうだ。
 担当医、その他の医療従事者、地域住民や各種団体に支えられて今日があるとおっしゃっていた。
 また、適切な情報開示、情報共有がとりわけ肝要であると話しておられた。
 明日の治療を開発する臨床試験においても、社会背景、性別、人種、年齢を問わず、多様性に対応できるように、さまざまな患者を組み入れられるような努力が必要であると話していた。
 学会における患者参加型プログラムの重要性を感じさせる内容だった。

 私自身、ほぼ同時に2人の近親者が昨年末から今年2月にかけて切除不能の原発性肺腺がんと診断され、現在進行形で家族として関わっている。
 わかってはいたことだが、医師として関わるのと、家族として関わるのでは、肺がんというものの景色が随分と変わる。
 恥ずかしながら、2人とも自分では満足に診断することすらできず、近親者として直接診療に関わるのは極めて危険だと感じた。
 近親者ならではの先入観や希望的観測をどうしても取り除けず、冷静な判断ができないのだ。
 それぞれ、1人の家族として、治療が本人の望むゴールを達成する助けとなってくれることを願って、見守っている。
 また、病状をしっかりと理解したうえで、自分が望むゴールはどこにあるのかということに、本人たちが向き合ってくれることをまた、祈っている。
 

 


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Posted by tak at 16:55│Comments(7)その他
この記事へのコメント
患者本人です。キイトルーダ単剤→肺葉切除→経過観察となって、丸2年が経過しました。発覚からはほぼ3年。
肺がんの当事者・・と言うか、がん患者になって、見える景色は本当に変わりました。最初は景色がモノクロ画面になってしまうほど呆然とし、やがてようやく普通のペースを取り戻し、そんなところへ「あなたのことは絶対に忘れないから。頑張ってね。さようなら」とか言われてまたぐんなり。そんなことを繰り返しつつ、ようやくグラグラしない、安定した境地に達したような気がするこの頃です。
本業は、動物(犬)と仲良く暮らすための市民講座の講師をつとめるドッグライフカウンセラーですが、コロナのおかげで商売上がったり。そこでこの年頭から、罹患直後からお世話になっている肺がんの患者会のお仕事を、手伝うようになりました。罹患したばかりの方の不安は、当事者としてよくわかる。治療中の方の不満も、当事者としてよくわかる。不安や不満にどう向かい合うかを、当事者の視点を加えて考え、提案する。そんなエッセイをブログに書いたり、市民講座での企画を考えたり。これらすべてが、なんとなくですが「足場を固める」「土台を築く」みたいな経験になっている気がしています。ここまできてようやく、怖がらずに肺がんを見つめることができるようになった感じがするのです。
患者本人、またはそのご家族として「当事者」となった時にも、かかわり方はやっぱり人それぞれであろうと思います。先生は、ご家族としてかかわりつつもやっぱり肺がん治療のプロでもあられる。そうでないご家族よりも、たとえばより大きな風圧にも耐えられる壁、みたいな部分があろうかと思います。呼吸器の先生としてのお立場から支えてくれるご家族がいるとすれば、やっぱり患者さんの心持ちは少し安らぐのでは、と思います。治療の効果が出ますことを祈ります。
Posted by ビートママ at 2021年03月31日 17:50
ビートママさんへ
 
 久しぶりのコメント、ありがとうございます。不思議なもので、ビートママさんから頂くコメントというのは、わたくしにとって何かの節目であることが多く、今回もそんな印象を受けています。ブログ運営者として、過去のビートママさんのコメントを検索して見直すことができるのですが、毎回とても示唆に富むコメントを頂いており今も考えさせられます。免疫チェックポイント阻害薬の術前・術後補助療法というのはとても興味深いテーマで、ビートママさんのご経験は貴重な情報です。差し支えなければコメント欄でのやり取りをまとめてひとつの記事にまとめておきたいのですが、いかがでしょうか。
 キイトルーダによる筋肉痛は、その後おちつきましたか?
 「ワンステップ」の活動もお手伝いされているご様子、ペイシャント・アドボケーションの大きなうねりの一翼を担っておられるとのことで、大変頼もしく感じております。ドッグライフカウンセラーと言えば、最近関わった肺がん患者さんに生業としてドッグブリーダーをしている方がおられ、合併症のために当初は手術不能、緩和医療の方針とされていたのですが、リハビリにより回復して方針転換、今頃はもう根治切除術が終わって退院している頃だろうと思います。
 当事者とは言え、私はまだ家族の一員という立場です。これが患者諜報人となるとさらに見方が変わるのでしょうね。まずは肺がん患者の家族として視野を広げ、医師としても、家族としても、よりよく振る舞えるようになりたいと考えています。
Posted by taktak at 2021年03月31日 22:49
わわわ、そうです、ワン・ステップのお手伝いです。ばれてる(笑)。このハンドルネームを使い始めた頃にはビートという名前の犬がまだ健在で、私はビートのためにどんな治療も乗り越えてまた一緒に散歩をする、と誓ったのです。犬は、飼い主が死んでも、その意味がわからない。どこに行ったのだろうと、終生気にかけ続ける。ハチ公のように。ビートをそんな犬にしないために、「がんがなくならなくてもいい。そこにあってもいい。悪さをしなければ。散歩ばできれば」と思って病院に通ったものでした。手術から数カ月後、そのビートが血管肉腫というがんで死んでしまったのは本当に辛かった。しかし今は、その後に引き取った野犬との暮らしに七転八倒、忙しくて辛さも少し緩和されています。野犬の子供は28kgにもなる大きな大きな、力の強いビビリ犬、一緒に暮らして1年ちょっと、最近ようやくしっぽをふるようになりました(まだそんなとこ)。
余計な話をしました。お申し越しの「まとめ記事」については、どうぞどうぞ、いかようにも投稿を活用ください。一度発信したものについては、半分はそれを受け取ってくださった方のもの、と思っておりますので。
キイトルーダ由来と思われる筋肉痛については、思わぬところから突破口が。胃をやられてしまったのです。ロキソニンをはじめ、複数の痛み止めを使っていたら胃が荒れました。やむなく鎮痛剤の種類を替え、さらに分量を減らし、プレドニゾロンについてもすこーーーーーーしずつ減量を試みているところです。不思議なことに、年末あたりにふと「あれ?一段階楽になったかも」と思えるようになり、揺り戻しもありつつ、最近ではあきらかに「前よりマシ」になっています。それって、キイトルーダの効力が切れるということ?そしたら再発しちゃうってこと?素人としては、そんな不安もありますけれど・・・・痛みが減るのは何にせよめでたいことと思うようにしております。
先生、肺がん患者のご家族になったのは、言い方はアレですが「たまたま」のことと思います。ご自身が呼吸器にお詳しいそのお仕事でいらっしゃるからと、あまり無理をなさいませんように。ちょっとおせっかいなこと、申し上げました。
Posted by ビートママ at 2021年04月01日 17:55
ビートママさんへ

 お言葉に甘えて、関連記事いくつかと抱き合わせるような格好で記事を書かせていただきました。局所進行期でPD-L1高発現の患者さんにとって、ビートママさんのご経験は大きな希望になることでしょう。ご協力ありがとうございます。
Posted by taktak at 2021年04月14日 20:54
はじめまして。
高木ゑみさん、残念ながら亡くなられてしまいましたね。
彼女はザノンフィクションという番組で知ったんですが、昨年10月からすざまじい腰痛に悩まされ病院に行ったら全身に転移しているということで入院していったん退院しグラノーアづくりをしたり、オンライン講演会を開いたりしてこれから!というときに今年三月に体の異変を感じ病院行ったら病気が進行しているといわれ再入院となり一週間足らずで逝去してしまいました。
ところで疑問に思うことがあって高木さんは昨年12月に退院し3月に再入院となったとき、その再入院当日の様子がザノンフィクションで放送されていたんですが普通に話せているし痛い素振りなんかしてなんですよ。それなのにその日にすぐにICUに運ばれる状態になるなんで不思議だと思いませんか?そんなに
癌って突然悪くなるものなんでしょうか?教えていただければ幸いです。本人にインスタグラムには酸素血中濃度が急に下がって・・・となっていますが、そんな急変するのですか?本人言うに咳が出たり足が痛くなったり・・・らしいですが、ほかにもあったんでないかと思ってしまいます。
 長々と失礼しました。
Posted by 花 at 2021年10月27日 20:14
花さんへ

 コメントありがとうございます。
 高木さんがどのような経過を辿られたのか詳しくは存じません。
 けれど、一般的には肺がんに限らず、がんの患者さんが急に具合が悪くなる状況にはしばしば遭遇します。私の親族も、進行肺がんの治療を開始してからまだ1年経過していませんが、これまでに2回救急車で搬送されました。
 動脈血中酸素濃度が急激に下がった、となると、例えば肺がんの進行で右肺が丸ごとつぶれてしまっているところに、左の気管支に痰が詰まってしまったとか、大きな血栓が肺動脈の太い部分に詰まってしまったとか、いろいろ想像が膨らみます。ある種の肺腺がんには、血栓を作りやすいことで有名なものもありますので、高木さんはそうした種類の肺がんと闘っておられたのかもしれませんね。
Posted by taktak at 2021年10月28日 21:08
ありがとうございます。
高木さんの場合3月の再入院時はテレビでは放送されていなかったけど、
おそらく医者からもう長くない的なこと、それも多分一か月も持たん的なを宣告され、それだったら最後にお世話になった方々にありがとうを伝えようという意志でインスタで挨拶をし、人口呼吸器をはずして蔵人君たち家族との時間と持とうという意志だったと思います。
ザノンフィクションの上戸彩が「ゑみさんはわかっていました。もう蔵人君はこの手で抱きしめられなくことを」といってましたから。蔵人君の背中をポンポンと三回たたいたみたいです。で入浴をし最後に家族にまたねといい、次の日の朝に様態が急変し家族が呼ばれ看取ったこんな流れだったんではと想像します。蔵人君からしたらね、動揺もしただろうし、悲しみは我々にははかりしれないくらいのものだったんではないでしょうか。
 ともかく蔵人君が幸せであってほしいと思うばかりです。
 長々と失礼しました。
Posted by 花 at 2021年11月15日 23:34
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