2014年07月18日

腫瘍医学の佐谷先生

 2014年度の日本臨床腫瘍学会年次総会が開幕しました。
 毎年、5月末のASCO、7月初めのBest of ASCO、7月下旬の日本臨床腫瘍学会総会と、この時期は同じ話題を3回繰り返し見て聞いて、頭に焼き付けるようにしています。

 ですが、今日は慶応大学の佐谷秀行教授のランチョンセミナー「治療抵抗性の分子機構とその克服戦略」が、決して新しい話題ではないものの、とても印象に残ったので書き残します。
 佐谷秀行先生は、1990年代に熊本大学で医学生生活を送った我々には思い出深い先生です。
 神戸大学を卒業後に一旦は脳神経外科医となられましたが、その後渡米されて基礎研究の実績を積まれ、1994年に熊本大学腫瘍医学講座の教授として着任されました。
 難解ながん遺伝子、がん抑制遺伝子の話題を、我々ボンクラ学生でも理解できるように巧みにデフォルメして講義してくださいました。
 また、腫瘍医学講座は研究のactivityが極めて高いことも学内では評判で、先輩、同期には腫瘍医学講座で研究に邁進した方々がたくさんいます。
 現在熊本大学消化器内科に所属している同期の直江秀昭先生もその一人です。
 その後、佐谷先生は2007年に現職の慶応大学へ異動され、現在も精力的にご活躍されています。

 今日のお話は、腫瘍のheterogeneity、腫瘍細胞が依存する増殖・生存シグナルの考え方、トラスツズマブを例にした薬物耐性機序とその対処、がん幹細胞とこれを叩くための医師主導臨床試験、と非常に幅広いお話でしたが、要点を絞ってわかりやすくお話されるその姿は、約20年前とまったくお変わりありませんでした。

 以下、印象に残った話題を書きます。

1)腫瘍細胞の多様性
 ・昔は、腫瘍を構成する腫瘍細胞は、単一のクローンから分裂・増殖した同種の細胞ばかりから構成されていると考えられていた。
 ・今では、さまざまな特性を持った腫瘍細胞の集合体と考えられるようになった。
 ・腫瘍細胞の多様性は、遺伝子に規定される(genetic)多様性と、遺伝子以外の条件によって規定される(epigenetic)多様性の総和である。
 ・腫瘍細胞多様性は、成立過程から分類することもできる。
 (1)evolutional heterogeneity:腫瘍が形成される過程で、自然発生的に構築された多様性
 (2)adaptive heterogeneity:治療によって誘導される(治療に耐性を持つ細胞が出来上がり、残っていく)多様性
 ・当たり前のことだが、細胞多様性は正常組織でも認められる(例として、扁平上皮組織における基底細胞には、幹細胞と前駆細胞がある。幹細胞は増殖速度が遅く、自己複製可能、多能性である。前駆細胞は増殖速度が速いが、増殖とともに分化していく)

2)がん幹細胞

 ・がんの組織を構築する細胞も、大きく分けるとがん幹細胞とそれ以外に分けることができる。
 ・がん幹細胞は増殖速度が遅く、自己複製可能である。
 ・がん幹細胞の成立過程は大きく分けて2種類ある。
 (1)ふつうの幹細胞が自然経過で遺伝子変異(geneticな変化)をきたし、がん幹細胞になる(実際にはそれほど多くない)
 (2)慢性炎症による刺激で(たとえばピロリ菌による慢性胃炎で)前駆細胞ががん幹細胞になる(epigeneticな変化)
 ・がん幹細胞は治療抵抗性が高い。その理由は、
 (1)細胞周期が遅いかもしくは停止していて、細胞増殖過程を治療標的にした薬はきかない。
 (2)薬剤排出既往や解毒機構が通常の細胞より発達している。
 (3)酸化ストレスに強い。
 ・がん幹細胞のマーカーとなる分子はいくつか知られているが、自分たちの研究室ではCD44 variant 8,9,10に陽性となる細胞は、活性酸素抵抗性を示すがん幹細胞であろうことを見つけた。
 ・CD44v8,9,10陽性細胞は、化学療法でその他の腫瘍細胞が全滅しても生き延びる(術前化学療法前の生検標本と化学療法後の切除標本を比較すると、前者はCD44v8,9,10陽性細胞とそれ以外の細胞が混在しているが、後者ではCD44v8,9,10陽性細胞のみが生き残っている)
 ・スルファサラジンがCD44v8,9,10陽性細胞を選択的に叩くことがわかった。
 ・国立がん研究センター東病院との共同研究で、進行胃癌に対してスルファサラジン併用化学療法の効果を試してみた。
 ・進行非小細胞/非扁平上皮癌を対象に、シスプラチン+ペメトレキセド+スルファサラジンの第I相試験を準備中。

3)腫瘍細胞が依存する増殖・生存シグナル
 ・細胞内シグナル伝達系は複雑極まりない、こんなの覚えられない。
 ・細胞内シグナル伝達系をぱっと見たときの印象は、東京都内の鉄道路線図を見たときの印象とよく似ている。
 ・東京都内の鉄道路線図は、重要な路線をいくつか覚えておけば、それほど生活に困らない。
 ・腫瘍細胞も、複雑なシグナル伝達系の中でも頻繁に利用する(依存している)経路はごく一部である。
 ・RAS-RAF-MAPK経路(細胞増殖系)とPI3K-AKT-mTOR系(生存・細胞増殖系)が依存している経路にあたり、まずはこれらを覚えておくべし。


 
 あと、トラスツズマブの耐性機構についても触れておられましたが、うまくフォローできなかったので今回は割愛します。
 こうして振り返ってみると難解な内容に思いますが、聴講しているときはわかったような気分になるのだから不思議です。
 佐谷先生の講義を日常的に受けられるのだから、慶応大学の学生さんたちは幸せです。  

Posted by tak at 00:17Comments(3)その他

2014年07月09日

イレッサとタルセバ、結局どっちがいいの?

 イレッサ(ゲフィチニブ)とタルセバ(エルロチニブ)、結局どっちがいいんだろう。
 肺がんの診療に携わる医師なら、一度は考えたことがあるはずです。
 次に示すのは、EGFR遺伝子変異陽性の肺がんを対象に行われた初回治療イレッサ、タルセバの臨床試験の無増悪生存期間中央値(mPFS)と全生存期間中央値(mOS)をグラフとしてまとめたものです。
 無増悪生存期間は、治療を始めてから明らかに病状が悪化したことが確認されるまでの期間であり、全生存期間は治療を始めてから死亡するまでの期間です。
 中央値というのは、例えば100人が同じ治療を受けていたとしたら、期間が短い方から50人目の患者さんのデータを示しており、厳密に言えば異なる指標ながら「平均値」と置き換えていただいても理解するうえでは問題ないと思います。
 
 



 
 NEJ002、WJTOG3405は日本国内で行われた臨床試験、IPASSは日本を含むアジア各国で行われた臨床試験、EURTACは主としてフランス、イタリア、スペインの三ヶ国で行われた臨床試験、OPTIMALは中国で行われた臨床試験です。
 NEJ002、WJTOG3405、IPASSはイレッサに関する、EURTAC、OPTIMALはタルセバに関する臨床試験でした。
 mPFS、mOSをそれぞれの臨床試験別に数字で示すと、
 WJTOG3405:9.2ヶ月、35.5ヶ月
 IPASS(EGFR遺伝子変異陽性者だけのサブセット解析):9.5ヶ月、21.6ヶ月
 NEJ002:10.8ヶ月、27.7ヶ月
 EURTAC:9.7ヶ月、19.3ヶ月
 OPTIMAL:13.1ヶ月、22.7ヶ月
 となります。
 mPFSはOPTIMAL試験が最も優れた成績を残していますが、mOSはWJTOG3405試験が最長です。
 臨床試験に参加した患者さんの背景や各国の診療実態も考慮しなければなりませんが、mPFSの成績の良悪が必ずしも素直にmOSに反映されない実情があります。

 そんな中、EGFR遺伝子変異の状況によらず、二次もしくは三次治療として有効性が確立されているタルセバに対して、イレッサが少なくとも劣っていないかどうか(非劣性)を検証するWJOG5108L試験の結果がASCO2014で公表されました。
 当初は、EGFR遺伝子変異の状態によらず、二次治療以降の全ての進行肺腺癌患者さんが対象だったのですが、2011年12月の添付文書改訂により、イレッサを投与できるのがEGFR遺伝子変異を有する患者さんのみに限定されてしまったので、それ以降はEGFR遺伝子変異陽性の方だけを適格とするようにプロトコールが改訂されました。
 結果として、約3分の2がEGFR遺伝子変異陽性の患者さんということになり、両治療群に均等に割り付けられました。
 残念ながらイレッサの非劣性は証明されず、本試験結果から実地臨床に反映できる結果は何も得られませんでした。



 
 しかし、EGFR遺伝子変異陽性患者さんのmPFSの数値を見てみると、タルセバ群で10.09ヶ月、イレッサ群で8.90ヶ月と、初回治療の臨床試験の結果と遜色ありませんでした。


 
 したがって、どちらの治療薬とも、初回治療、二次治療いずれにおいても、ほぼ同等の(9-10ヶ月程度)のPFSが得られるということは言えそうです。
 また、年齢別のサブグループ解析では、65歳未満の患者さんでは、タルセバの方がよりPFSが延長する傾向が見られました。
 一方、EGFR遺伝子変異形式別(Exon 19 or Exon 21)では、両薬剤に効果の差は見られませんでした。 

 

 

 「二次治療であれば、標準治療薬のひとつであるタルセバのかわりにイレッサを使っても差し支えない」
ということを証明するために行われた試験ですが、証明できなかったので、試験の結論としては、
 「二次治療であれば、標準治療薬のひとつであるタルセバのかわりにイレッサを使っても差し支えない、とは言えない」
ということになります。
 しかし、イレッサ、タルセバともに、EGFR遺伝子変異陽性患者さんにしか使用できなくなった現状を考えると、3分の1がイレッサ、タルセバ使用不能患者さんが含まれた臨床試験ですから、現在の実地臨床にはあまり活かせない結論です。
 個人的には、65才以上の方ならイレッサを、65歳未満の方ならタルセバを使っておこうかな、と思います。

   

2014年07月07日

EGFRチロシンキナーゼ阻害薬による術後補助治療

 2014年7月5日・6日と、例年の如くBest of ASCO Japanに参加してきました。
 話題はいろいろあるのですが、今日はEGFRチロシンキナーゼ阻害薬による術後補助治療について触れます。
 Best of ASCO自体の内容では触れられていませんが、ランチョンセミナーでTony Mok氏が語っていきました。
 
2014 ASCO Annual Meeting #7501
A randomized, double-blind phase 3 trial of adjuvant erlotinib (E) versus placebo (P) following complete tumor resection with or without adjuvant chemotherapy in patients (pts) with stage IB-IIIA EGFR positive (IHC/FISH) non-small cell lung cancer (NSCLC): RADIANT results.

Author(s):
Karen Kelly, Nasser K. Altorki, Wilfried Ernst Erich Eberhardt, et al

<背景>進行非小細胞肺癌におけるエルロチニブの有効性は既に確立されているが、術後補助療法としての意義は不明である。BR.21試験のデータでは、免疫染色もしくはFISHでEGFR陽性の患者で、エルロチニブの効果がより期待できるようだった。
<方法>IB-IIIA期の完全切除後非小細胞肺癌患者を、エルロチニブ150mg/日もしくはプラセボを2年間服用する治療群に2:1の比率で無作為に割り付けた。層別化因子は、病期、組織型、先行する術後補助化学療法、喫煙歴、FISHによるEGFR発現状態、国籍とした。主要評価項目は全患者を対象とした無病生存期間とし、副次評価項目には全患者を対象とした全生存期間、EGFR遺伝子変異(Exon 19欠失変異/Exon 21 L858R置換)を有する患者群における無病生存期間および全生存期間を含めた。
<結果>2007年11月から2010年7月までに、973人の患者が無作為割付された。両群に患者背景の差はなかった(65歳以上が41%、女性が41%、IB期51%、II期33% 、IIIA期16%、腺癌59%、先行する術後補助化学療法歴53%、非喫煙者20%、アジア人17%、FISHによるEGFR発現率72%、EGFR遺伝子変異陽性率16.5%)。無病生存期間を割り出すために予定されていたイベント数は410で、これが達成されたのは2013年4月だった。277人(28%)の患者が既に死亡していた。患者追跡期間中央値は47ヶ月だった。全体の患者群では、両群間に有意な無病生存期間の差を認めなかった。また、副次評価項目についても、有意差は認めなかった。治療継続期間中央値はエルロチニブ群で12ヶ月、プラセボ群で22ヶ月だった。皮疹はエルロチニブ群の58%、プラセボ群の17%に、下痢はエルロチニブ群の52%、プラセボ群の16%に認めた。Grade 3以上の皮疹はエルロチニブ群の12.6%、プラセボ群の0.3%に、Grade 3以上の下痢はエルロチニブ群の6.2%、プラセボ群の0.3%に認めた。治療関連死は認めなかった。
<結論>エルロチニブによる術後補助療法は、今回の適格患者全体の無病生存期間を延長しなかった。EGFR遺伝子変異陽性患者に限った同様の検討が望まれる。エルロチニブの安全性プロファイルは、進行期の患者を対象にした場合と同様であった。


 abstractだけを見ると得るところのないnegative studyですが、以下の表を見ると、
 1)EGFR遺伝子変異陽性群の方が、全体よりも成績が悪そう
 2)EGFR遺伝子変異陽性のプラセボ群は、他の群に比べて極端に無病生存期間が短い
 3)EGFR陽性群に限って言えば、エルロチニブによる術後補助療法は意義がありそう
 4)EGFR陽性群にエルロチニブを使って、ようやくEGFR遺伝子変異陰性群に比肩できる無病生存が得られる
といったことが見えてきて、興味深いです。
 ちなみに、今回の統計解析では、EGFR遺伝子変異陽性患者での解析において、無病生存期間のp=0.0391は有意差に至っていないそうです。







さらに、EGFR遺伝子変異患者の解析に焦点を絞ったのが以下の内容で、結果を一部抜粋して記します。

2014 ASCO Annual Meeting #7513
Adjuvant erlotinib (E) versus placebo (P) in non-small cell lung cancer (NSCLC) patients (pts) with tumors carrying EGFR-sensitizing mutations from the RADIANT trial.

Author(s):
Frances A. Shepherd, Nasser K. Altorki, Wilfried Ernst Erich Eberhardt, et al

RADIANTにおいて無作為割付された973人のうち、EGFR遺伝子変異の状態について検索されたのが921人(95%)で、161人(17%)は遺伝子変異を有していた(55%がExon 19欠失変異、45%がExon 21 L858R)。遺伝子変異は女性(65%)、非喫煙者(63%)により高頻度に認められた。47%がIB期、29%がII期、22%がIIIA期であった。49%が術後補助化学療法を受けていて、47%がアジア人だった。治療群間の患者背景に若干ばらつきがあった(エルロチニブ群には化学療法未経験者、早期患者が多く、プラセボ群は腫瘍径が小さい)。102人がエルロチニブ群に、59人がプラセボ群に割り付けられた。治療期間の中央値はエルロチニブ群で21.2%、プラセボ群で21.9ヶ月であった。エルロチニブ群の34人(34%)、プラセボ群の24人(41%)は22ヶ月以上の治療期間を完遂した。エルロチニブ群の無病生存期間中央値は46.4%、プラセボ群は28.5ヶ月で、ハザード比は0.61、95%信頼区間は0.38-0.98、p=0.039だった(今回の解析では有意ではない)。エルロチニブ群では、脳転移再発が多く(40% vs 13%)、骨転移再発は少ない(14% vs 29%)傾向があった。

 全生存期間の解析にはまだ時間がかかりそうですが、現時点でもなかなか興味深い結果が得られたように思います。