2011年03月22日
がんと宗教
これはあくまで個人的な意見ですが、他の国民に比べると日本人一般の宗教意識は弱いように感じます。
これは良い面でもあり、悪い面でもあります。
イスラム教区、キリスト教区、ユダヤ教区では常に教義と紛争が背中合わせです。
同一宗教の中でも、派閥間の争いが殺し合いに発展するくらいです。
少なくとも近現代の日本において、浄土真宗と時宗の信者が殺し合いをした、などという話は聞きません。
これは、よく言えば、日本人がその倫理観念と宗教の間に程よい距離感を保っている、ということかも知れません。
ここからががんの診療に関わることです。
私の日常診療で、患者さんが治療経過中に窮地に陥った際、宗教が精神的支柱になることは少ないように感じます。
いわゆる「悪い知らせ」を受けたとき、患者さんを支えるのは主に家族です。
宗教ではありません。
「アッラー」や「イエス」を信ずる方々は、その点では逆境に強いのかもしれません。
治療を受けるにあたり、心のよりどころは必要です。
勿論個人差はあるでしょうが、われわれの世代の日本人は、宗教が精神的支柱になっているかどうかという点においては、弱いような気がします。
でも、化学療法や放射線療法を行うにあたり、宗教的理由で「輸血が出来ない」患者さんの治療遂行はためらわれます。
治療経過中に輸血が必要となる場合が少なからずあるからです。
2年半前に担当していた患者さんに輸血が必要になった際、奥様がそういった教義をお持ちで、かなり神経をすり減らしました。
輸血が必要になった際に「初めて」輸血が出来ないことが発覚すると、取り返しのつかないことになりかねません。
輸血が出来ない方は、初診時にお話しください。
これは良い面でもあり、悪い面でもあります。
イスラム教区、キリスト教区、ユダヤ教区では常に教義と紛争が背中合わせです。
同一宗教の中でも、派閥間の争いが殺し合いに発展するくらいです。
少なくとも近現代の日本において、浄土真宗と時宗の信者が殺し合いをした、などという話は聞きません。
これは、よく言えば、日本人がその倫理観念と宗教の間に程よい距離感を保っている、ということかも知れません。
ここからががんの診療に関わることです。
私の日常診療で、患者さんが治療経過中に窮地に陥った際、宗教が精神的支柱になることは少ないように感じます。
いわゆる「悪い知らせ」を受けたとき、患者さんを支えるのは主に家族です。
宗教ではありません。
「アッラー」や「イエス」を信ずる方々は、その点では逆境に強いのかもしれません。
治療を受けるにあたり、心のよりどころは必要です。
勿論個人差はあるでしょうが、われわれの世代の日本人は、宗教が精神的支柱になっているかどうかという点においては、弱いような気がします。
でも、化学療法や放射線療法を行うにあたり、宗教的理由で「輸血が出来ない」患者さんの治療遂行はためらわれます。
治療経過中に輸血が必要となる場合が少なからずあるからです。
2年半前に担当していた患者さんに輸血が必要になった際、奥様がそういった教義をお持ちで、かなり神経をすり減らしました。
輸血が必要になった際に「初めて」輸血が出来ないことが発覚すると、取り返しのつかないことになりかねません。
輸血が出来ない方は、初診時にお話しください。