大分からセンバツ高校野球選手権大会に出場している明豊高校が、初の決勝進出を決めたとのことで、webニュースを読んでいた。
1967年に全国優勝した津久見高校以来、54年ぶりの大分県勢決勝進出とのこと。
確かに記憶にない。
春・夏ともに甲子園が見送られた昨年を挟み、一昨年はベスト4、今大会では決勝進出ということで、実質2年連続で甲子園ベスト4入りを果たしているわけで、明豊高校は立派に名門の仲間入りをしたと言っていいだろう。
明豊高校と聞くと、私はどうしても明青学園高校を思い出してしまう。
上杉達也、上杉和也、朝倉南である。
今は、立花投馬・走一郎の義兄弟が活躍しているようだ。
なにはともあれ大分県民にとっては、新型コロナウイルス感染症の第4波が他県から押し寄せそうな嫌な雰囲気の中、快事として素直に喜びたい。
他のニュースに目を通していたところ、以下のような記事を見つけた。
「人気料理研究家の高木ゑみさん、35歳で死去 ステージ4の肺がんで闘病していた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c967c721aaf17264ce2a7d5443cbaaa05959ccaf
今日まで高木さんのことは存じ上げなかったが、35歳の若さで、2020年10月に脳転移、骨転移を伴うstage IVBの原発性肺がんと診断され、2021年3月28日に亡くなられたとのこと。
確定診断からまだ半年も経過していない。
進行期肺がん治療開発のめざましさが取りざたされる一方で、こうした厳しい現実もあるのだ。
自分よりも若い方がこうした経緯で亡くなられるのは、ことのほかこたえる。
シングルマザーとして息子さんを育てておられたということで、一層切ない。
ご冥福をお祈りするとともに、息子さんの今後の人生に幸多かれと祈りたい。
昼食を食べてから、午後のカンファレンスが始まるまでの間に、世界肺癌会議の際に公表された肺がん患者の動画を視聴していた。
この患者が13歳の時に、祖父母が相次いで肺がんで亡くなった。
その半年後には、父親が肺がんで亡くなった。
さらに、20代の頃には母親と、近しい親族も肺がんで亡くなった。
本人は39歳の時にEGFR遺伝子変異陽性肺がんと診断され、4人の幼い子供たちを抱えていた。
stage IAで完全切除し、EGFRチロシンキナーゼ阻害薬で術後補助治療を受けたものの再発、現在は別のEGFRチロシンキナーゼ阻害薬を使って病状は安定しているとのことで、闘病期間は足かけ12年にも及ぶそうだ。
担当医、その他の医療従事者、地域住民や各種団体に支えられて今日があるとおっしゃっていた。
また、適切な情報開示、情報共有がとりわけ肝要であると話しておられた。
明日の治療を開発する臨床試験においても、社会背景、性別、人種、年齢を問わず、多様性に対応できるように、さまざまな患者を組み入れられるような努力が必要であると話していた。
学会における患者参加型プログラムの重要性を感じさせる内容だった。
私自身、ほぼ同時に2人の近親者が昨年末から今年2月にかけて切除不能の原発性肺腺がんと診断され、現在進行形で家族として関わっている。
わかってはいたことだが、医師として関わるのと、家族として関わるのでは、肺がんというものの景色が随分と変わる。
恥ずかしながら、2人とも自分では満足に診断することすらできず、近親者として直接診療に関わるのは極めて危険だと感じた。
近親者ならではの先入観や希望的観測をどうしても取り除けず、冷静な判断ができないのだ。
それぞれ、1人の家族として、治療が本人の望むゴールを達成する助けとなってくれることを願って、見守っている。
また、病状をしっかりと理解したうえで、自分が望むゴールはどこにあるのかということに、本人たちが向き合ってくれることをまた、祈っている。