菅原道真公と日本人

tak

2017年04月23日 04:22

第57回日本呼吸器学会総会 2017年4月22日
基調講演
<菅原道真公と日本人>大宰府天満宮 宮司 西高辻信良氏:菅原道真から数えて39代目の直系の子孫
 宮司に近しい方が、昨年50代後半で亡くなられたとのこと
 診断は原発性肺腺癌、診断から3年後に死亡、その後に今回の講演依頼があった
・菅原道真の墓地の上に大宰府天満宮は建っている→大宰府天満宮の宮司は菅原道真の墓地の墓守でもある
・大宰府の成立は663年の白村江の戦いまでさかのぼる
 唐・高句麗・新羅の連合軍の侵攻を受けた百済を救うために大和朝廷が援軍を送ったが惨敗
 本土への侵攻に備えるために、664年に水城が築かれたのが大宰府の始まり
 大宰府は①防衛の拠点②外交の拠点③九州政務の拠点
・全長3kmの水城は今でも上空から確認できる
 水城の北側は福岡、水城の南側は大宰府
・「あをによし ならのみやこに さくはなの にほうがごとく いまさかりなり」
 奈良出身の小野老が大宰府にあって郷里を懐かしんで詠んだ歌
 「にほう」ので、このはなは桜ではなく梅である
・西高辻という苗字は珍しく、他にきいたことがない
・西高辻家の人間には運命がある
 大宰府天満宮の宮司となる運命なだけに、受験に失敗することは許されない
 職業選択の自由が無く、宮司になるしかない
・西高辻家の10代目以降には、名前に「信」の字がつく
・神としてまつられた「人」は日本史上、菅原道真が最初
・斉明天皇に勅命により左遷され、大宰府で一生を終えたが、没後90年を経た後に勅命が撤回された
・勅命が撤回されたのは、歴史上この1回のみ
・「南無天満大自在天神」の神号が贈られた
・菅原道真は33歳で文章博士(今でいえば、東京大学文学部の教授あたりに相当)
・菅原道真が受験した官僚試験の設問
 <氏族について記せ>
 <地震について記せ>
・菅原道真は59歳で死没
・「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」
・「このたびは幣もとりあへず手向山もみじの錦神のまにまに」
・遣唐使を廃止
・遣唐使を廃したことは、我が国独自の文化(かな文字、服装)を醸成するのに役立った
・神道とは・・・先祖、自然とともに生きること
・「常若」の考え方
 伊勢神宮と式年遷宮:20年に1度、お社を同じ様式で全て新しく作りかえ、天照大神に住まいを移っていただく
 法隆寺:伊勢神宮と同時代に建立されたが、修理を繰り返して今まで往時の在り様を留めている
・西行法師が伊勢神宮参拝時に詠んだ歌
 「なにごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」
・平成25年、第62回の式年遷宮が行われた際に大祭に出席した西高辻氏が、隣り合わせたドナルド・キーン氏から聞いた言葉
 「式年遷宮は20年に1度、日本人が日本人であることを確認するカンフル剤である」
 ドナルド・キーン氏は4回連続で式年遷宮の大祭に出席していたとのこと
・西高辻氏は、志賀島の志賀海神社の宮司や宝満山のお社の宮司も兼務している
・志賀海神社に伝わる「山誉種蒔漁猟祭」・・・山と海との間での循環社会の概念は、古くからあった
・思いを馳せる、ということ
・西高辻家の宮司としての住まいは、築400年の茅葺の家、「延寿王院」
 50年に1度は、ほぼ全改築しなければならない
 20-30年に1度は屋根を葺き替えなければならない
 維持費は西高辻家の全額負担
 宮司の奥さんは、毎日50枚くらいの雨戸を開閉しなければならない
 夏は涼しい
 冬はもっと涼しい
 150年前、大きな出来事があった
 明治維新の準備期間に、都を追われた三条実美以下、5人の公家が、いわゆる「七卿落ち」をしたときに宮司の家に3年間滞在した
 坂本竜馬、西郷隆盛、高杉晋作、中岡慎太郎といった錚々たる維新の志士も宮司の家にやってきた
 東久世日記、1865年5月25日の日記、「土州藩坂本竜馬面会、偉人ナリ、奇説家ナリ」
  薩長同盟を結ばせるに当たり、三条実美に間を取り持ってもらうためにやってきたときの記述
・大宰府の御籤は年間10回色を変えるようにしている
http://mizunoeki.jp/blog/2016/11/22
・延寿王院とニコライ・バーグマン

・失われた大宰府天満宮の麒麟1体とマリメッコ作の麒麟

・今の大宰府天満宮と100年後の大宰府天満宮、変わらぬ姿であり続けることが理想
・変わらない姿であり続けるためには、常に手を加え続けて維持しなければならない
・宮司になってしばらくすると、域内に60本ある楠が次々と枯死し始めた
 原因は参拝者の踏圧だった
 九州大学の農学部、業界と協力して楠再生プロジェクトを立ち上げ、再生させるまでに20年を要した
 1本は枯死から救うことが出来なかった
・「くすの木千年、さらに今年の若葉なり」、萩原井泉水
 

関連記事