2015年11月28日

肺癌新治療の費用対効果

 肺癌の薬物治療には、私が医師になった1999年から今日に至るまで、何度かのターニングポイントがありました。
 初回治療におけるプラチナダブレットの確立、二次治療におけるドセタキセルの確立、EGFRチロシンキナーゼ阻害薬の登場、EGFR遺伝子変異と治療効果の相関に関する発見、抗VEGF抗体の上乗せ、ペメトレキセドの登場、組織診断の重要性再認識、ALK遺伝子再構成の発見と治療薬開発、そしてここ2年くらいは、第3世代EGFRチロシンキナーゼ阻害薬の波と免疫チェックポイント阻害薬の波が同時に押し寄せており、希少な遺伝子異常を有する癌の検索と治療開発も始まっています。
 こうして見ると、臨床応用されたもの、されつつあるものだけでもおなかいっぱいになりますが、もうひとつ重要なことは、新しいテクノロジーが出現するたびに医療費が高騰していることです。
 水分・糖質補給のための点滴の薬代が数百円であるところにもってきて、点滴用の抗生物質は高いもので数千円します。
 医師になりたての頃、抗生物質って高いもんだなあと思っていたら、抗真菌(カビ)薬は一万円を超えるものも当たり前でした。
 こりゃたまらんと思っていたら、抗がん薬は1回の治療で数万円は当たり前、の世界でした。
 抗がん薬治療は吐き気止めなどの支持療法も必要なのですが、困ったことに吐き気止めも一万円を超えるものが出てきました。
 分子標的薬が出てきたと思ったら、1錠7000円から一万円もして、毎日飲まなきゃならないときました。
 内服薬とはいえ、馬鹿にならないなと思っていたら、1回の治療で数十万円も上乗せされる抗体医薬や新規抗がん薬が出てきました。
 このころから、高額医療制度でカバーできるのだろうかと不安になり始め、製薬会社も治療コストを考慮したパンフレットを作り始めました。
 困ったことに、分子標的薬、抗体医薬、新規抗がん薬、どれをとっても長期投与により生存期間の延長が示されています。
 掛け値なしに、命=時間をお金で買っていることになります。
 わが国は国民皆保険制度で医療費をまかなっており、どんなにお金持ちでも保険診療である限りは1ヶ月に14万円以上を支払うことはありません。
 限度額を超える医療費は、そのほとんどが税金と、毎月の給与から差し引かれる健康保険料で賄われています。
 わが国の肺癌の発症時年齢中央値は70歳を超えていると思われますから、現役世代が税金と保険料で支えている構図です。
 そして、それだけでは賄いきれないので、年間40兆円の医療費を国の借金(国債など)で支払っており、この医療費は今後も増え続けると予想されています。
 国の借金は、現在でも国民総生産の2倍以上あります。
 わかりやすく家計にたとえるなら、お父さんの給料では賄いきれない年間400万円のおじいちゃん、おばあちゃんの治療費を、消費者金融からお金を借りて支払っているのですが、この治療費は今後も増え続けると予想され、さらには借金の残高も利息も増え続けるということになります。
 すでに借金の総額は、お父さんの年収の2倍を超えており、預金は一銭もありません。
 このままだとこの家庭は、どうなるでしょうか・・・。
 破産、家庭崩壊、一家離散、借金苦の挙句に一家心中、などなど、とても悲観的な将来しか見えてきません。
 国家レベルに話を戻すなら、デフォルト、医療崩壊、外貨の流出、場合によっては戦争も現実味を帯びてきます。
 そしてここに追い討ちをかけるように、肺癌の世界では第3世代EGFRチロシンキナーゼ阻害薬や年間数千万円から一億円とも言われる医療費がのしかかる免疫チェックポイント阻害薬が使い始められようとしています。
 免疫チェックポイント阻害薬で炎症性腸疾患様の有害事象が起こったら、抗TNFα抗体(インフリキシマブ)を使ってでも押さえ込む、という年の入りようで、高コスト体質は際限なく広がります。

 本日の肺癌学会で行われた表題のシンポジウムでは、医療経済の専門家、薬価設定や薬価改定の専門家の講演も交えて、Pros & Consに近いような形で議論が展開されました。
 新規診断法や新規治療に関する情報が得られるわけでもないのですが、1000人以上を収容するメイン会場で立ち見が出るほどの盛況で、肺癌薬物療法の高コスト体質にいかにみんなが危機感を持っているのかがよくわかりました。
 それぞれの演者についてコメントをするのは避けますが、いろんな立場から議論が展開され、それぞれに一理あり、会場の参加者全員が何らかの思いを抱えながら会場を後にしたことでしょう。
 
 ここから先は、私の私見です。
 他の薬はともかくとして、免疫チェックポイント阻害薬だけは、健康保険制度で賄ってほしくありません。
 肺癌の領域では、喫煙が関連した(多段階発癌を経た)癌には免疫チェックポイント阻害薬の効果が高いことがわかっています。 
 高い効果が期待できる患者さんを見分ける上で、喫煙者か否かというのはとても簡単な方法です。
 しかし、非喫煙者としても、医師としても、勝手に喫煙して、勝手に肺癌になって、その上現役世代や将来世代に年間数千万から一億円の借金を背負わせて、免疫チェックポイント阻害薬の治療を受けるのは、承服できません。
 治療をしないとは言いませんが、免疫チェックポイント阻害薬は高度先進医療かそれに準じた取り扱いにして、患者さんに選択してもらうのがさし当たってはいいのではないでしょうか。
 生命保険で高度先進医療特約に入っていればそちらから賄われるでしょうし(現物給付でないと対応できないかもしれませんが)、そういったバックアップ体制を自ら準備していない患者さんは、この治療は受けるべきではない気がします。
 夏休み期間中、学校で給食を食べられないがために栄養失調に陥る(家計が切迫しているために家庭では十分な食事を用意できない)子供が少なからずいるわが国で、通常の健康保険で免疫チェックポイント阻害薬を使用していいものでしょうか。

 がんと薬物療法の闘いは、細菌感染症と抗生物質の闘いの歴史を追いかけているように見えますが、コストの面においてはがんの世界の方が遥かに深刻です。
 米国では、家庭内に進行期の肺癌患者がひとり発生すると、13家族のうち1家族は破産する統計データがあるそうです。
 個人単位では、長生きすればするほど生活は貧しく、苦しくなり、国家単位では、国民の5年生存割合が伸びれば伸びるほど、国家財政は破綻の方向に向かいます。

 ・・・やっぱり、まずはがんにかからないことが大切です。
 予防医学です。
 今回の記事を読んで危機感を感じた喫煙者の方は、現在ただいまから、直ちに禁煙してください。
 男性なら、それだけで肺癌の発癌リスクが半分に減るはずです。


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この記事へのコメント
平素より先生のブログで勉強をさせていただいています。
最近の学会は撮影禁止のため先生の記録は大変助かります。

本公演では最近の年間の薬剤費が10兆円(!)で、単純計算だと肺がんのニボルマブだけで約1兆円/年(!!!)費用がかかる計算になることを言われていました。

正直もはやこれらの薬剤を承認するか否かは特別に国会でも審議して、是非多くの国民の方々にその現状を知っていただかなければいけないのではないかと思いました。
Posted by Yoshi at 2015年11月29日 07:13
Yoshi先生へ

 コメントありがとうございます。
 先生は真面目な方ですね。
 最近の学会は撮影禁止ですが、会場では堂々と写真撮影している参加者がとても多いですよね。
 私は度胸がなくて、ポスターくらいしか撮影できません。
 仕方がないから、学生講義さながらに死ぬほどノートをとって、その内容をブログにまとめるようにしています。

 COMPASS試験で検証されている治療の費用について概算したのはついこないだだったように思っていましたが、ほぼ5年前(2011年1月31日)の話でした。
 月日が経つのって、早いものですね。
 また、こういうテーマを振り返るのに、ブログって結構便利なんだな、と思いました。
 今回の結論と全く同じようなことを5年前にも書いてました。
 
 COMPASS試験に比べてより今回の免疫チェックポイントの話題が深刻なのは、主な受益者が喫煙者であることだと思います。
 臨床腫瘍学会や癌治療学会など、臓器横断的に活動する学会が旗を振って、費用対効果の問題を議論の俎上に上げてほしいですね。
Posted by taktak at 2015年11月30日 21:29
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